アレクサンドル・ダーレ・オーエン



アレクサンドル・ダーレ・オーエン(Alexander Dale Oen 1985年5月21日生)
 [ノルウェー・水泳選手]


 2005年世界水泳選手権の100m平泳ぎで7位、同年12月の欧州短水路選手権では59秒05のタイムで4位となり、当時のノルウェー記録を更新した。これにより、彼は100mを1分未満で泳いだ最初のノルウェー人となった。上海で行われた2006年世界短水路選手権では100m平泳ぎでオレグ・ リソゴール 、ブレントン・リッカードに次いで銅メダルを獲得。オーエンは最初に水泳の世界選手権でメダルを獲得した男性ノルウェー人となった。4ヶ月後の欧州水泳選手権では100m平泳ぎで銀メダルを獲得、1分00秒63でノルウェーの長水路記録(当時)を更新した。ヘルシンキで行われた2006年欧州短水路選手権における100m平泳ぎで短水路では初のメダルとなる銅メダルを獲得、タイムも58秒70で自己最高記録(当時)であった。

 2007年欧州短水路選手権で、準決勝では58秒60という個人ベストを叩き出し全体でも2位のタイムだったが、決勝では1位から0秒24遅れる58秒81で5位に終わった。しかし、2008年の欧州水泳選手権では予選で1分00秒11のベストタイム(当時)を出し、準決勝も1位通過。決勝ではヨーロッパ記録となる59秒76(当時)で、ユーグ・デュボスを0秒02上回り優勝した。

 2008年の北京オリンピック、100m平泳ぎでは、予選は59秒41で自己記録(当時)とオリンピック記録(当時)を更新し1位通過、準決勝でも当時の世界記録59秒13に迫る59秒16と記録を伸ばし1位通過。決勝では59秒20で、さらに記録を伸ばすことはできなかったものの2位となり、ノルウェーに初のオリンピック競泳メダルをもたらした。

 2011年に上海で行われた世界水泳選手権の100m平泳ぎではライバルの北島康介を破り58秒71で優勝し、ノルウェーに大会初の金メダルをもたらした。決勝が行われた2011年7月25日はノルウェー連続テロ事件が発生した3日後であった。ゴール後に彼は、スイミングキャップのノルウェー国旗を指差し犠牲者に哀悼の意を示した。

 2012年4月30日、合宿先のアメリカ合衆国、アリゾナ州フラッグスタッフにて急死した。ロンドンオリンピックでは金メダル最有力候補で、開幕3ヶ月前のことであった。死因は心臓冠動脈の凝血による心臓麻痺で、ホテルの浴室で倒れているところを発見され、搬送先の病院で死亡が確認されたという。

 死亡当時、彼の正式な死因は不明であり、遺体については現地(アメリカ)の医療機関にて長期間に及ぶ詳細な解剖が行われることになった。その結果、彼の正式な死因が判明した事が2012年6月12日に発表され、複数の通信社を通して世界各国に報道された。その記事の内容については通信社によって相違点があるが、いずれの記事においても彼が以前から重い動脈硬化を抱えており、それが心臓麻痺の直接の要因であったとする見解は一致している。彼は急死する1〜2ヶ月前にも軽い心臓の発作を起こしていたという。また、この症状は遺伝性のもので、彼の祖父も心臓病のために42歳で急死したとされている。

 標高2000mを超え、高地トレーニングのメッカと呼ばれているフラッグスタッフがオリンピック選手の死で動揺させられたのは過去5年で2度目となる。2007年11月、米国のライアン・シェイ選手もここで高地トレーニングをした後でニューヨークで行われたオリンピックのマラソン代表選考レースの途中で倒れ、心臓発作で死亡した。

 2012年4月30日死去(享年26)


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