森祐喜



森祐喜(もりゆうき 1964年10月15日生)
 [政治家]


 1964年、衆議院議員今松治郎の秘書である森喜朗の長男として生まれた。曾祖父の森喜平は石川県能美郡根上町の初代町長を務め、のちに祖父の森茂喜も町長に就任するなど、生家である森家は石川県能美郡根上町の名家であった。また、父の喜朗も、今松の秘書を経て1969年12月の第32回衆議院議員総選挙にて石川県第1区から立候補し初当選を果たすなど、祐喜にとって政治は幼い頃から身近な存在であった。

 東京都町田市にて学校法人玉川学園が運営する玉川学園高等部に在籍し、同高等部を卒業した。大学進学時成績不良で玉川大学に内部進学出来ずに、その後、東海大学教養学部に入学するも講義について行けずに中退した。その後、アメリカ合衆国に渡り、ジョージタウン大学の英語学校EFLプログラムを受講した。日本に帰国後は、喜朗の秘書として活動した。2000年からは衆議院公設第一秘書として父・喜朗を支えた。また、翌年には小松青年会議所の理事長にも就任した。

 しばらくは父である森喜朗の秘書として活動していた。喜朗が首相時代に様々な発言を「失言」としてマスコミに叩かれた際には、「おやじに使ってはいけない言葉のリストを作って持たせろ」と母親の智恵子に語っていた。喜朗は「あの野郎、いつのまにか俺より偉そうになりやがって」とまんざらでもない風だったという。

 その後、石川県議会議員を目指すことになる。2006年3月に投開票が行われた石川県議会議員補欠選挙では、森家に縁のある能美市能美郡選挙区から自由民主党公認で立候補し、初当選を果たした。なお、能美市能美郡選挙区では1議席を目指し3人の候補者が争ったが、次点の沢田貞との票差は400票あまりというきわどいものであった。政党としては自由民主党に所属しており、石川県議会の会派としては「自民党石川県議会議員協議会」に所属した。週刊誌などでは、奔放な私生活が報じられていたことが何度もある。

 2007年4月に行われた石川県議会議員選挙では、2期目の当選を果たした。この選挙では、能美市能美郡選挙区から再び立候補した沢田が1万4000票以上を集め、トップ当選を果たした。沢田に1300票以上の差をつけられ後塵を拝したものの、定数2であるため祐喜も当選を果たした。石川県議会の土木企業委員会が改組され、新たに建設委員会が設置されると、その委員長に就任した。

 2010年8月、飲酒したにもかかわらず車を運転し、コンビニエンスストアにて事故を起こして、その責任をとり石川県議会の議員を辞職した。2010年8月19日の石川県議会文教公安委員会の審議では、飲酒運転が明らかなのに現行犯逮捕せず、任意同行した後に通常逮捕した理由を明かすよう求める質問がなされた。これに対し、石川県警察本部交通部交通指導課の課長が「現時点では捜査中なので詳細については答弁を差し控えたい」と答弁した。これに反発した文教公安委員会の委員らは、石川県警察に対し、記者会見で逮捕時の状況を説明するよう重ねて要請した。

 そんな最中の2010年10月31日、祐喜は能美市の自宅で倒れ、一時心肺停止状態に陥り入院した。手当を受けて一命は取り留めたという(自殺未遂説や薬物乱用説との情報もある)。しかし、翌2011年5月頃より体調を崩して金沢市の病院に入院していたが、2011年7月25日、入院先の病院で急性膵炎による多臓器不全のため死去。森元首相は「今は静かに逝かせてやりたい」と話し、家族たちだけで密葬した。

 なお、2009年8月に起きた、元俳優・押尾学が起こした薬物事件への関与疑惑が囁かれていたが、真相は不明である。

 2011年7月25日死去(享年46)


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