ユーロニモス



ユーロニモス(Euronymous 本名:オイスタイン・オーシェト 1968年3月22日生)
 [ノルウェー・ヘヴィメタルミュージシャン]


 ノルウェー・ローガラン県出身。1984年に、ブラックメタルバンド、「メイヘム」を結成。当初はデストラクター(Destructor)というステージネームで活動していたが、ギリシア神話のダイモーン、エウリュノモスの名を採ってユーロニモス(Euronymous)と改名した。メイヘムでは、最初期の2年ほどボーカリストも兼任していたが、1986年にメシアがボーカリストとして加入して以降はギタリストとして活動を続ける。しかし、バンド自体はなかなかメンバーが安定せず、1990年には当時のボーカリスト、デッドがショットガンで自殺するという事態にも見舞われる。デッドの死体はユーロニモスが最初に発見し、写真をすぐさま撮影している。その写真は、後のメイヘムのライヴアルバム『Dawn of the Black Hearts』のジャケットに使用されている。

 1989年にはクリスティアン・ヴィーカネース(後のヴァルグ・ヴィーカネース)と出会っている。ユーロニモスはオスロの下町でレコードショップ「ヘルヴェテ」をオーナーとして開業し、そこに集まるブラックメタルバンドのメンバーと悪魔崇拝集団「インナーサークル」を構成。「誰が一番邪悪か」を競うかのように、教会への放火など、犯罪行為がエスカレートしていった。1992年にヴァルグがリレハンメルの有名な礼拝堂に放火し全焼させたことがきっかけで、ヘルヴェテは警察からの徹底的なマークを受け、閉店に追い込まれる。ちなみに、ヴァルグは証拠不十分で不起訴となった。

 1992年9月ごろから、メイヘムの1stアルバム『De Mysteriis Dom Sathanas』をレコーディングする。このレコーディングには、ヴァルグがベーシストとして参加していたが、この頃すでにヴァルグとユーロニモスの人間関係は悪化していた。これは、ユーロニモスがヴァルグの活動に難色を示していたことや、レコーディング費用の支払いの滞りなどの金銭問題が原因であった。

 1993年8月10日、ヴァルグはユーロニモスと親密な仲であったスノーレ・ルーシュを呼び出し彼に車を運転させ、深夜、オスロにあるユーロニモスの自宅アパートへと向かう。彼は「バンド用のギターリフを考えた」「契約書を持ってきた」などと言いユーロニモスにドアを開けさせた所をナイフで刺し殺した。ユーロニモスが負った傷は「全身23箇所(頭部に2箇所・首に5箇所・背中に16箇所)」に及んでおり、アパートの外で遺体が発見された。それからおよそ一週間が経過した8月19日にヴァルグはユーロニモス殺害容疑で逮捕され、後に放火、窃盗、爆弾テロの容疑で追加起訴され、1994年にノルウェーでの最高刑、懲役21年の判決を受けている。

 ユーロニモスの死によってメイヘムは解散するが、レコーディングされた1stアルバムはデスライク・サイレンス・プロダクションから1994年にリリースされた。ヴァルグ参加部分は別人の演奏に置き換えるという話もあったが、結局ヴァルグの演奏が使われている。

 1993年8月10日死去(享年25)


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