プーラン・デーヴィー



プーラン・デーヴィー(Poolan Devi 1963年8月10日生)
 [インド・政治家]


 ウッタル・プラデーシュ州ゴールハー・カ・プールワー村で、小舟を操ることを生業とする家庭に生まれる。両親の取り決めに従い11歳で20歳年上の男と結婚したが、夫から虐待された末に婚家から追い出される。

 1979年に盗賊団に誘拐され、その首領の恋人となる。1980年に対立する盗賊団に襲われて首領は殺され、自らも集団暴行を受けた。その後、他の盗賊団との抗争をきっかけに頭目となる。「盗賊の女王」と称され、多くの強盗と殺人を犯した。しかし、プーラン・デーヴィーを義賊とみなす人々からは広く慕われた。

 プーラン・デーヴィーを頭目とする盗賊団は、1981年、ウッタル・プラデーシュ州のベヘマイー村で領主の階級に属する男性22人を殺害し、インド全国および国際的に悪名を轟かせた。動機は以前プーラン・デーヴィーを輪姦したタークルのラーム兄弟をはじめとする村の男達に対する復讐であったが、被害者の中には、プーラン・デーヴィー強姦事件とは直接関わりが無かった者も含まれていたとも言われる。プーラン・デーヴィー自身はベヘマイーでの虐殺に立ち会ったことを否定し、村人の目撃証言にも矛盾がみられる。

 司法当局と、プーラン・デーヴィーに敵対する盗賊団がプーラン・デーヴィーを捕縛しようと試みたが、プーラン・デーヴィーは容易に捕まらなかった。インディラ・ガンディー政権及びインド警察当局とプーラン・デーヴィーの間で彼女自身と彼女の率いる盗賊団員を死刑から免ずるという司法取引が成立し、1983年、プーラン・デーヴィーは10000人が見守る舞台の上で投降した。プーラン・デーヴィーは裁判を受けることなく11年間投獄されていたが、1994年ウッタル・プラデーシュ州で新たに選出されたポピュリストのムラーヤム・スィン・ヤーダヴ州首相が検察官に働きかけて彼女に対する訴追を全て取り下げさせたため釈放される。釈放後、プーラン・デーヴィーは階級差別および女性差別と闘う民間組織を発足。

 1996年、プーラン・デーヴィーの釈放に尽力したサマージワーディ党から国会議員選挙に出馬し当選、国会議員となり、同年に自叙伝『女盗賊プーラン』が世界的なベストセラーとなった。

 1998年にはノーベル平和賞の候補となったが、2001年7月25日、ニューデリーの自宅前で武装グループにより射殺された。逮捕されたシェール・シン・ラーナー容疑者は暗殺の動機について、ベヘマイー虐殺事件の報復であると自白したが、警察当局は信用し難いとしている。

 2001年7月25日死去(享年37)


<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。



w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ